大己貴神社の歴史
由緒略記
大己貴神社の歴史は古く、日本書紀(西暦720年)を始めとする歴史書他多数に記載されています。その由緒の始まりは、第14代仲哀天皇9年(西暦200年頃)とされています。
また、927年制定の法令書『延喜式』巻十〔神名帳〕には筑前国の11社のうちの1社に数えられ、他は現在の(1)宗像大社(2)織幡神社(3)筥崎宮(4)住吉神社(5)志賀海神社(6)志登神社(7)筑紫神社(8)竈門神社(9)麻手良布神社(10)美奈宜神社であり、古くより大変由緒のある神社であります。
西暦200年頃〔仲哀天皇9年〕神功皇后が、現在の朝倉市(秋月)野鳥のあたりで勢力を持っていた豪族「羽白熊鷲(はじろくまわし)」を征伐後、新羅征討を起こすにあたり兵を募ったが集まらず困っていたところ、大神社“おおみわのやしろ”(または大三輪社と記載し)を建て、太刀や矛を奉納したところ、兵が集まったと『日本書紀』に記載されています。
- 720年
- 「日本書紀」完成。
- 806年(大同 元年)
- 大和朝廷より、封戸(62戸)あり。
- 811年(弘仁 2年)
- 嵯峨天皇
- 1471年(文明 3年)
- 土御門天皇
それぞれの勅願により、社殿再建される。
- 1578年(天正 15年)
- 豊臣秀吉の島津征伐の折に兵火に遭い、社殿・宝物・勅書・社記・古文書など焼失する。
御神体は仮殿に移される。
- 1645年(正保 2年)
- 再建。
- 1687年(貞享 4年)
- 再建。現在の本殿になる。江戸時代は藩主黒田氏の尊崇篤く社領六石を与えられた。
- 1897年(明治 29年)
- 縣社に列せられる。
- 1952年(昭和 27年)
- 戦後の宗教法人の制定により、宗教法人大己貴神社となる。